旅行・地域

2013年9月26日 (木)

行って来ました! お伊勢参り。

24,25日と生まれて初めてお伊勢参りに行ってきました。bullettrain

東京ー名古屋、名古屋ー伊勢の往復交通費と一泊朝食付きの宿泊費、一日目の外宮と二日目の内宮のガイド(お伊勢案内人という方の案内)料込みのフリーパック(一人3万2千円ほど)を申し込んで、学生時代の友人2人と出かけました。

二日続けて同じ方に、時間を越えても丁寧に案内していただき、満足のいく濃い時間を過ごして帰ってきました。heart01

頭の隅に埋もれていた、歴史や神話の知識のかけらをやっとのことで拾い集めて3人でああでもないこうでもないと言い合いながら歩く道程や乗り物の中は楽しく、あっという間の二日間でした。

案内人のMさんありがとうございました。

ラッキーなことに神馬、神様のお使いの鶏に会えたし、名物の赤福氷、伊勢の黒うどんももれなく味わっての日々でした。delicious

いっぱいパワーをいただいて来ましたので、展覧会を無事に迎えられそうと喜んでいます。happy02

もちろんKにお札をいただいてきたのは言うまでもありません。(そうしないと後が怖いsweat01

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内宮の正宮。 10月初めの新宮への遷宮を控えて。

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神馬。 なんとも静かでお行儀良く、気の毒なくらい。think

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お使いの鶏。 つがいが何羽か放たれています。

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赤福氷。 中に赤福がのぞいています。 甘さ控えめで美味しかった!heart04

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本来の素うどんでなく、具材たっぷりの冷やし黒うどん700円なり。 ヘルシーで良かったですよ。confident

8時過ぎに東京に到着。 さすがに疲れを隠せないのはやっぱり歳かなあ。coldsweats02

止せばいいのに、翌朝7時(今年2月4日の記事にアップした)松戸のツウォップに朝食の予約。restaurantcafe

5時に自宅を出発しなければならないから寝なければと焦れば焦るほど眠れないで悶々としたまま朝を迎えました。shock

翌朝5時半、六本木でカメラマンN氏、美マダムMさん、女将の豪華メンバーをピックアップして一路松戸へ。 相棒Kは自身の車で一足先に松戸に向い、30分も早く到着しているものだから、場所に間違いがないか不安で何度も電話をかけてきます。mobilephone

ようやく6時半過ぎに到着。 二階のカフェが開くまで一階のパン屋さんで買い物。wink

その後二階で朝食となりましたが、わがままなおじさんおばさんたちは言いたい放題笑い放題でしっかり朝から濃いーい1時間半を共有しました。  周りの皆様ご迷惑おかけしました・・・。coldsweats01

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入り口。 可愛いでしょ?

その後東京に戻り、それぞれ仕事や雑用に。happy01

途中、朝の渋滞に巻き込まれたひつじは、代官山で受ける予定のブーケレッスンに少し遅れて参加。 その後2時間余りしっかりレッスンに集中しました。angry

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中々きれいなラウンドにならず難しかったです。sweat02

おばさんは頑張る!punch

でもねえ、やっぱり無理のし過ぎは身体に悪いと思ったひつじです。aries

2013年4月16日 (火)

トルコ・スペイン紀行その11(グラナダ後編)

トルコ・スペイン紀行も間があいて申し訳けありません。sweat01

もう、先回のお話、忘れられてるでしょうか?coldsweats02

場所はスペイン。  レンタカーでの旅行二日目、グラナダで朝を迎えています。

トルコ以来の風邪で微熱の続いているY。 昨夜早く床についたものの、まだまだ体調の悪さを引きずっています。

それでも人気のアルハンブラ宮殿観光のため、朝早くからチケットを買いに行ってくれました。 

早朝から並んでも観光が果たせなかったりするそうですが、運よく9時15分スタートのチケットを手にして帰ってきました。

英語かスペイン語の観光ツアーしかないそうで、当然我々は英語ツアー。  各自配られたヘッドホンを装着しながらツアー開始です。

ローマ時代に起源をもつ街グラナダは、1236年にコルドバがキリスト教徒に奪回されてからは、ナスル朝グラナダ王国の首都となり、イベリア半島におけるイスラム最後の砦として繁栄を極めました。 そして1492年の陥落まで2世紀半にわたり、終末の宴ともいうべきアルハンブラ宮殿を築いて、そこに華燭の炎を燃え上がらせました。(地球の歩き方より)shine

シエラ・ネバダ山脈を水源とする肥沃な平野に位置し、宮殿内の至るところにある池や噴水は、心の癒しになるだけでなく、その豊富な水が圧倒的豊かさの象徴でもありました。

ツアーは、この水と緑豊かな夏の別荘へネラリフェとパルタル庭園からスタートです。  ほとんどわからない英語の説明。 かろうじて理解できたのは、山から水を引く工事技術の高さ、造園の見事さ、水量の豊富さに言及しているらしいこと。

下の画像はアルハンブラ宮殿ツアー中盤のそれですが、こんな感じに進んで行きます。shoe

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まずは14世紀に建てられた夏の庭園へネラリフェとパルタル庭園から。

豊富な水で豊かな緑

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フランスのアンジュ城でもそうでしたが、ここアルハンブラ宮殿の庭園でもブドウ畑や野菜畑が広がっています。 両側からのしかかるように緑の壁。

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どこか異空間にはまってしまったように、しばし時を忘れてしまいます。

そしてしばし時を忘れたために、このあとひつじは大変な目にあうのです。shock

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イスラム調の窓から見渡すグラナダの街。

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パルタル庭園の有名な噴水。

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この噴水で説明を受けた直後、一心に写真を撮っていたひつじは、な、何と迷子になってしまったのです。shock

ふと振り返ると同じツアーの一行の姿が一人残らず消えているではありませんか!

当然KもYもいません。 でも、相変わらすイヤホンからはガイド氏の説明が淀みなく聞こえてきます。 だけどひつじは一人ぼっち。sweat01 

あああ、どうしよう。 イヤホンの音声を頼りにあっちへうろうろこっちへうろうろ。  でも、気づくと声はどんどん離れて行ってしまいます。 また声が大きくなる方に戻ってみるのですが、一行の姿は影も形もありません。

海外対応にした携帯も、何故かスペインに入ってからはドコモが作動しないのです。

孤立無援。 

・・・ところが、ピンチになるとやおらあきらめの良くなるB型性格が突然頭をもたげたのです。

「最初の集合場所まで戻って、そこで待てばいいや。 それでも会えなきゃ、最終的にはホテルの駐車場で待つしかない。」と、ごくごく単純に考えるひつじ。 もうイヤホンの声が遠くなっても恐くなんかありません!ear

意を決してスタスタ歩き始め、「もとへ!」。  あっという間にスタート地点に戻り、せっかくだからと洗面所(YはWCをワールドカップと言って、トルコでアメリカ人に受けてました。)にも行って、その後おもむろに係員らしき人にツアーの終点を訊きました。  ・・・でも、中々英語のわかる人がいなくて(こちらの英語がわからない?)往生。

ついに案内係をみつけてたずねると、チケットにツアーの出発時刻が書いてあるとのこと。 それを見た彼女、少し戻って、小さな礼拝所の前で待てば、必ず彼らがここを通ると教えてくれました。

本当にここでいいのか、若干不安になりながら待つことしばし。clock

戻って来ました! 一行が。

・・・憮然としているKとY。 (続けて書くとKYになりますね。うふっ。)  

反省の色を見せて彼らの様子をうかがいます。  どうも彼らは、普段鍵をかけられて立ち入り禁止になっている部分を見学して来たようです。 どおりでひつじが見失ったわけです。

ガイド氏にも謝って、再度ツアーが始まりました。 

Yは、高いところに立って、「ママ~!」と呼べとガイド氏に言われたそうで、(スペイン語で言われたので、Kに言わず、恥ずかしいからスルーしたそうです。)ものすごく不機嫌。pout

お昼を高級店で奢ることで一件落着。coldsweats02

さて、王宮に移動してメスアールの間(執務や裁判が行われていた政庁)、黄金の間(王の謁見の間)、コマレス宮のファサード(精巧な文様と色鮮やかなタイルで装飾された建物の外観)、大使の間、ライオンの中庭(王の住むライオン宮の中庭で、12頭のライオンの噴水がある)、そして下の画像の、有名なアラヤネス(池の周りに植えられている植物のことだそうです)の中庭を見学しました。 

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さらに諸王の間では、イスラム芸術には珍しく、ナスル朝十人の王が天井の革絵に描かれていました。

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鍾乳石装飾が施された八角形の天井の二姉妹の間。

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こんなふうになっています。

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ここまでで時刻はすでに2時近く。

このツァーはもさらに続くらしいのですが、今日中に次の宿泊地ロンダに発たなければならない我々、そこでツァーから離脱しました。

だいぶグロッキーでもあったのですがね。aries

2012年4月27日 (金)

トルコ・スペイン紀行その10(グラナダ前編)

だいぶ紀行文さぼっていました。  久々の再開です。

さてスペイン三日目の朝、レンタカーを借りてコルドバを出発。car

Yがしばらく暮らしたグラダナを目指します。 まずはひつじが運転。 ナビに先導してもらったら、すぐに高速道路イン。 なんせ久々のマニュアル車で左ハンドル、怖いのなんのって!shock

フランスの緑豊かな田舎とちがって、土っぽい景色です。

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緑もとっても濃い感じ。

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それでもようやく高速をおりて道程の半分強を走ったところ相棒Kが替わってくれることに。coldsweats01 ガソリンスタンドかカフェで停まって水を買おうというのですが、車線変更するのが怖くて右側でなければ停められません。sweat01

だいぶ走ったところでなんとか右側にカフェを見つけて休憩。 持参のおにぎりを食べちゃったりしたのですが、内心はかなりドキドキheart02

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でも夕方前には無事グラナダのホテルに到着。  ところがところが、ホテルの駐車場入り口が狭く、短いですがつづら折りのような通路を地下に降りていきます。 借りたアウディ、前が長く車幅もけっこうあるので入り口でKがギブアップ。 男性並のテクニックを持つKにしては珍しいギブアップですが、駐車場に入れないわけにはいきません。 全てをカバーする保険に入っていて良かった、と思いながら何度も切り替えし、両壁ぎりぎりのスロープをなんとか下って無事パーキングにイン! どっと疲れが出ました。sweat02

中に入ると・・・うわぁ~、素敵なホテル! こじんまりしているのですが、ロビーが吹き抜けになっていてそれを囲むように各階に部屋が配置されています。 明るくてとってもきれい。shine

今回一人5000円見当でホテルを探しましたが、どこも中々快適でした。  ブッキングドットコム様お世話になりました。happy01

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チェックインをしてしばらく休んだあと、町へ繰り出しました。  ずっと車に乗りっぱなしであまりお腹が空いていなかったので少し散策。  Yの風邪はだいぶ悪化して微熱もあるようです。

暮れ始めた道をバルへと向かいます。

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一軒目の立ち飲みバル。  魚のフリット。

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イカのフリットも。

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いかついおじさんたちがお店をきりもりしています。

そして一転、女性がサーブしてくれる2軒目のバルへ。

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沢山のワインに囲まれています。

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おつまみ(タパス)はこんな感じ。

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あ~、グラナダの夜だあ。

時刻は21時をまわっています。 グラナダの夜はこれから。 でも、いよいよ風邪がひどくなってきたY、私達二人をおいて一足先にホテルへ。

初めてのグラナダで、しかも暗い夜道(公園のようなところを抜けます。)を二人でアルハンブラ宮殿へ。  実際には15分ほどの道のりなのですが、馴れない道は遠く感じます。

グラナダ着後一人で下見をしてくれたYによると夜の見学コースがあるそうです。 宮殿への行き帰りはだらだらながら長ーい坂道で、体調の悪いYは一人で何度も往復してくれたのですが、今回はパス。  マドリッドやバルセロナ(今回は行きませんでしたが)のような大都会は警戒のあまりピリピリする息子も、ここグラナダでは安心して我々を夜のしじまに放り出すありさま。

仕方なく入り口を探してうろうろ。

ようやくチケットを買って中に。 夜で出入り口が制限されているため、坂の上のチケット売り場から100mほど戻って中へ。

誰に何を聞いていいかもわからず、とりあえず見られそうな所だけを回ります。

カルロス5世宮殿。  人の移動がつねに把握できるようになっている二階建ての宮殿。 一階部分が美術館になっているそうですが、もちろん閉まっているため薄暗い回廊をそぞろ歩くのみ。  我々二人のほかは外国人らしいカップルが一組。  でも逆に素性の知れない他の人がいたら怖いかも。

だってこんなに暗いんですもの。

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二階から中庭を臨んで。

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外側はこんな。

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もっと中に入れるのかと思い、他の団体について先へ進もうとすると、我々のチケットを確認してストップをかけられました。 どちらも拙い英語なのでわけが分からずやむなく引き返すことに。  翌日知ったのですが、どうやらチケットに入場時刻が印刷されていたらしく、まだ私達の順番ではなかったようです。 けっこう高いチケットだったのにがっくり!

仕方なく宮殿から夜の街を眺めて帰路に着きました。  幸いホテルは徒歩圏内。 また長い坂を下って行きました。

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スペインもトルコ同様、猫好きが多いのかな?

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沢山歩いて夜はぐっすり!  でも、だいぶ長旅の疲れが出て来ています。aries

2012年4月 4日 (水)

トルコ・スペイン紀行その9(コルドバ後編)

「メスキータ」。   スペイン語でモスク(寺院)のことです。

でも、一般的には固有名詞としてコルドバにあるカトリックの聖マリア大聖堂を指す場合が多いそうです。confident

現在その大聖堂がある土地には,もともと西ゴート王国時代建設のカトリック、聖ビセンテ教会が存在していたそうで今でも内部にその名残があります。

ところが711年、北アフリカからイベリア半島に侵入してきたイスラム勢力によって、教会の半分がモスクとなりました。  それからしばらく、教会はキリスト教徒イスラム教徒の両方によって使用されていたそうです。think

785年、後ウマイヤ王朝のアブド・アッラフ1世の命により教会のキリスト教徒所有部分が買い取られ、王宮に隣接するモスクとして建設工事がスタート。 1236年に再びキリスト教徒によってコルドバが征服されるまではイスラム教のモスクとして次々に拡張されていきました。

そして13世紀、メスキータは再びカトリック教会へと姿を変え、今日に至っています。

トルコで見たキリスト教とイスラム教のせめぎあいが、ここコルドバではひとつの教会の中に圧縮されていて、世界に類を見ない建造物に。

8世紀初頭から15世紀の終わりまで、イベリア半島はキリスト勢力とイスラム勢力の戦いに何度もその色を塗り替えられました。

それは、キリスト教側が云う「レコンキスタ」(再征服)の歴史でもあります。  

「レ」は英語で「re」(再び)、「コンキスタ」は同じく英語で「conquest」(征服)の意です。  日本語では、「国土回復運動」と訳されるようです。 718年、西ゴート王国の貴族を称するぺラヨが、アストゥリアス地方でキリスト教徒を率いて蜂起し、アストゥリアス王国を建国しました。 多くの史家は、この年をレコンキスタ開始の年に設定しています。  これに対し、カスティーリャ王国がアルハンブラ宮殿を陥落させ、ナスル朝を滅亡させた1492年(コロンブスが新大陸を発見した年でもあります)がレコンキスタ終結の年となります。

この間、イスラム教とキリスト教の数多くの戦いがイベリア半島を舞台に繰り広げられ、ときにはそれぞれ同じ宗教の者同志の内紛があり、宗教を越えて互いに手を結び合うこともありました。

そう、このせめぎあいが両文化の混在を作り出したのです。

・・・と、固い話になってしまいましたが、この歴史を無視してはアンダルシア地方の史跡を語ることが出来ません。

今でこそキリスト教の大切な文化遺産になっていますが、その陰に見えるイスラム文化との層が幾重にも重なって見る者の心に染み入ってくるのです。

本当に今回の旅は盛りだくさんで、早朝イスタンブールを経ってスペインに戻り、そのまま南下。  コルドバでチェックインしたあと、バスで旧市街に行き、このメスキータを見学しました。eye

旧市街は、趣のある狭い石畳の道を観光用の馬車が行き来しています。

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その道なりに歩いて行くとメスキータに出会います。

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外壁からすでにイスラム文化の名残が感じられます。  イスラム統治下では開いていた各門も、レコンキスタ後は閉じられています。  

外壁の装飾。

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重厚な門をくぐってオレンジの中庭へ。

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そして、柱の林立するメスキータ内部へ。

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メッカ(聖地)の方向を示すミフラーブ。

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その天井部分。

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イスラム文化の名残。

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イスタンブールのモスクでも見かけた植物の意匠。

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そして、上からのしかかるように感じたカトリックの装飾。

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パイプオルガンも何台もあります。

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街中にもタイルなどにイスラムの模様が残っています。heart04

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文化が混在してるでしょう?

歴史遺産はこれだけではなく、さらにもっと古いローマの水道橋も。  このローマの水道橋、ヨーロッパのあちこちでみかけるそうです。

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橋の上から。

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本当に探せば探すほど気が遠くなるほど古いものに出会います。coldsweats02

そして、白壁に花があふれる旧ユダヤ人街も散策。  ここは8世紀頃ユダヤ人によって造られたそうです。  現在スペイン国内でユダヤ教会が残っているのは、ここコルドバと、トレド(トレドには二箇所あるそうです)だけだということです。

ユダヤ人街は、花と太めのおばさんの画像しかなかったので割愛させていただきます。coldsweats01

最後に、翌朝アパートのキッチンから見た朝焼けの画像をお目にかけましょう。

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なんかピンボケっぽいけど。aries

2012年2月 9日 (木)

トルコ・スペイン紀行その8(コルドバ前編)

イスタンブールの一日観光で文化遺産に押しつぶされさそうになったひつじ一行。  博識ガイド氏にホテルまで送り届けていただいたときはすでに夜の八時を回っていました。  ゆうに11時間強!  ガイド氏は熱心に案内してくださったということです。  その間、休憩はランチのみ。  

内容に不満などこれっぽっちもないのですが、一日で回るには強行軍でした。 でも、ガイド氏は、出来るだけたくさんイスタンブールを見せたいと思ってくださったのでしょう。

再度イスタンブールを訪問する機会があれば、またガイドをお願いしたいと思いますが、今度はゆっくり滞在したいものです。

さて、ホテルに帰りついた私達。  トルコ最後の晩です。

Yの風邪はだいぶ悪化していましたが、それでも根性で食事に出たいというY。  最後のトルコ料理を味わいました。

明日は5時40分に迎えを頼んであります。  それぞれの想いを胸にトルコの夜は更けていきました。

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さて、今朝はスペインへ移動です。

飛行機に乗り遅れるわけにはいきません!   何とか時間通りに起きて、荷物とともにフロントへ。

チェックアウトを済ませて迎えの車を待つのですが。

・・・来ません!   さらに待っても・・・来ません!  ついに待つこと30分以上。

フロントの男性は親切にイスタンブールの旅行社に連絡してくれたりしたのですが、いっこうに通じません。

仕方なくタクシーで出発しました。  果たして8時10分発の飛行機に間に合うかどうか・・・

空港へむかうタクシーの中、ひつじは今回の旅行をアレンジしてくれたカッパドキアのTさんの携帯に電話を入れました。

とりあえずトルコエアーのカウンターに、我々が向かっていることを伝えて欲しかったのです。

ようやく空港についたものの、テロ警戒の警備が厳しく、建物に入るにも荷物検査と身体検査があります。  も~う、早くして!!  乗れなかったら大変!!

やっとチェックを潜り抜け、カウンターに向かうも、すでに後発便のチェックインのため長蛇の列!

ふと見ると、むこうの方にトルコエアーのインフォメーションデスクがあります。

Yに私の携帯を持たせ、私達が列に並んでいるあいだにインフォメーションデスクで相談するよう指示。  何かあったらKの携帯に連絡するよう言って送り出しました。

これが効を奏して、インフォメーションデスクで列の横入りを認められたYが私達を引き連れて長蛇の列にカットイン!  ちょっとだけ聞こえるブーイングをものともせず無事チェックイン終了!  搭乗口へ進んで、機上の人となることが出来ました。  あ~あ。

あとでYが語ったところによれば、これがスペインだったら、「横入りなんて大ブーイングだよ!」ということでした。 よかったー!

さて、定刻11時40分に再びスペインの空港に降り立った私達。 トルコへ行く前に預けておいたYのスーツケースを引き取り、空港内でAVE(スペイン高速鉄道)のチケットを購入。 アトーチャ駅までタクシーで急ぎます。

さあ、今夜の宿泊地コルドバへ向けて出発です。

中、長距離列車の発着するアトーチャ駅は、すごく大きな近代的なところでした。  

さかのぼること10年前、2002年に初めてKと二人きりの海外旅行を決行したとき、アムステルダムからパリまで早朝、列車で移動しました。  HISのフリーパックで、往復の航空券と滞在ホテルの予約、アムステルダムとパリ間の列車予約だけのひつじ初めてヨーロッパ。(無謀だなあ) 花の見本市を訪ねての旅でした。

6時出発の列車。  発車の知らせもなく突然旅立つと聞くヨーロッパ。  どのくらい前に駅でスタンバっていればいいかドキドキするので、前日HISのパリ支店に問い合わせました。  

「一時間前に行ってれば大丈夫ですよ。」 この言葉を信じてまだ薄暗い中、駅に到着した私達。  改札口がない!  薄暗いホームにはなにやら怪しげな人たちがうろうろ。  列車はおろか、まだ乗客も来ていない!  私達は身を寄せ合って荷物を取られないよう戦々恐々と時間をつぶしたものです。  その後無事列車に乗れましたが、3時間の乗車中、チケットを調べられることはあっても、パスポートを見せた記憶はないのです。(忘れちゃったのかな?)  国際列車なのに!

2008年、2009年のコンクールで渡仏の際も、やはり改札口はありませんでした。

中、長距離列車の改札口って、日本特有のもの?

ところが、このところのテロの影響か、スペインでは、ホームに下りる前に荷物チェック、ボディチェックがありました。

さて、2時間弱でコルドバ到着。 今日明日と二晩滞在のアパートメントホテルへの案内を請いたいのですが、シェスタのため、案内所は16時まであきません。  しばらく駅のベンチで待つことになりました。  この後、スペインではしばしばこのシェスタに悩まされます。

コルドバ駅

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上から見たホーム

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案内所。  ちょっと斜めってますねえ。

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ようやく開いた案内所で、Yがホテルへの行き方とコルドバ観光について説明を受けて帰ってきました。

ホテルまではバスで20分ほどのようです。

駅のすぐ外にはバス停がならんでいて、各バス停には番号が明記されているので分かりやすかったです。

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大荷物とともにバスに乗り込みますが、かなりゆったりとした車内。

ドライバーに住所を見せ、降りる停留所を確認するY。  ・・・ところが、降ろされたバス停に、そのホテルは見つかりません。  ちょうど出かけるらしい近くの家から出てきた青年に尋ねると、ラッキーなことに彼の車で連れてってくれるとのこと。

スポーツタイプの乗用車に我々3人とスーツケース3個を無理無理詰め込んでくれ、車で7分ほどのホテルへ。  もう、感謝してもしきれないくらいでした。

さて、ホテルについたものの、ここでもフロントはシェスタ。  15分ほど外で待たされました。

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ようやくチェックイン。  部屋に荷物を置いて、まずは食料の買出し。  もし、間に合うなら有名なメスキートの見学も、と休む間もなくバス停へ。

途中、眺めると、大きなお家ばかりの落ち着いた住宅街のようです。 どちらを向いても、田園調布より大きな家ばかり。

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2分ほどのバス停には、毎時0分と30分にバスが停まるそうです。 

バス停のまわりも住宅以外何もなし。

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でも、繁華街まではバスに30分も乗れば行かれるし環境はいいしで、快適なホテルでした。

ホテルの室内はこんな感じ。

メインのベッドルーム(ダブルベッド)。

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その部屋の収納棚。

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ツインのベッドルーム。

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リビングダイニング。

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別の角度から。

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キッチン。

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キッチンの背中側がダイニングです。

ここでご飯を炊いて、久々の日本食。  お昼もおにぎりを持って出かけました。

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キッチンがついていると、ラーメンでもなんでも手早く作れるし、何より好きなだけ野菜や果物をとれるので便利です。

そして洗面所。

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これで一人一泊2500円ぐらい!  いいでしょう?

さて、バス停で待つこと10分ほど。  

どうせスペイン時間かと信用せずに待っていたら、以外にも定刻通りバス到着。  途中で乗り換えて旧市街へ。  さあ、これからのスペイン旅、どうなりますことやら。aries

2012年2月 7日 (火)

トルコ・スペイン紀行その7(イスタンブール後編)

この日、イスタンブールは日曜日。 ものすごく楽しみにしていたバザールがお休みの日でした。

エ、エーっ、なんで国民の9割以上がイスラム教徒なのに日曜が休日なの?  バザールのお休みは金曜日じゃないの~?

1923年、列強による分割、植民地化からトルコを救ってアタテュルク(トルコの父)と呼ばれたムスタファ・ケマルは、政教分離、ラテン文字の採用など大改革を進めました。  自国を守るために鎖国化するのではなく、近代化を推し進めて外国に伍していかれるトルコを目指したのです。  男女ともの教育機会均等化の普及など、当時としては珍しい進取の気性に富んだ人物だったようです。  たいした人ですねえ。

上記の日曜休日もその影響なのかな。  トルコのイスラム教徒が緩やかなのもわかるような気がします。

こんなわけで、この日の市内は大勢の人で賑わっていて楽しそうでした。

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午前中の立ちっぱなし、歩きっぱなしのハードな観光(お勉強?)を中断して、ランチのため、我々もこの喧騒の中レストランに繰り出しました。

洒落たトルコ料理レストランもお客でほぼいっぱい。  みんな楽しそうに食事しています。 でも、午後の観光予定もぎっしりの私達、さっぱりして美味しいトルコ料理に舌鼓を打って、少し食休みをしただけで、もうレストランをあとに。

午後一番の観光は「地下宮殿」からはじまりました。  それは、巨大な地下貯水池で、250本あまりのコリント様式の柱に支えられ姿は、まさに「地下宮殿」という呼称にふさわしいものでした。  4世紀から6世紀に建造された頑丈な造りで、灯りの中に浮かぶ幻想的な、神秘的でさえあります。  かつて007の映画撮影に使われたことがあるのも納得です。  今は観光のために見学コースを設け、電灯で照らされてもいますが、ガイド氏によると40年ほど前にお父さんに連れられて来た頃は、真っ暗な中、ボートで見て回ったそうです。

内部はこんな感じ。

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何だか怖いくらい雰囲気のあるところでしょう?  

見学通路はこんなふう。  Yのリュック、重そうです。

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そして奥の柱の下にはメデューサの首が2体・・・

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ああ、ドキドキしちゃった!  心臓に悪い。

エフェソスの遺跡で、建物入り口にもメデューサの彫刻がありましたが、守り神なのだそうです。  外部からの敵の侵入を、ひとにらみで防いでくれるのかな?

すごくエキゾチックで面白かったけど、日の当たる場所に戻ったときは正直ほっとしました。

その足で、今度は憧れのトプカプ宮殿へ。

数年前、日本で、トプカプの秘宝展が開催されたことがあります。  そのとき公開されたお宝のすごかったこと!!  金銀財宝はもとより、中国、韓国、日本の陶磁器コレクションの量と質に圧倒されました。

今回の旅の目的のひとつは、その陶磁器コレクションでしたが、見学時間がおしていたことと、休日のためか大変混んでいたためにハレムとともに見学時間がなく、割愛されてしまいました。  残念!

まあ、他にも見るものがあまりに多すぎたということなんですがね。

トプカプ宮殿、ほんとに広くて、チケット売り場から門をくぐって宮殿入り口に到達するまで、公園のような広いお庭が続いています。  そこには休日をのんびりまったり過ごす人たちがくつろいでいます。

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・・・実は、謁見の間、宝物館等々、あまりに多くの物を見たので、どれがどれだかわからなくなるぐらい濃ーい時間をすごしました。  そのひとつひとつを博識ガイド氏が実に丁寧に説明してくださり、前にはなかった新しい展示物があるときなど、わざわざ宮殿宝物館内のお知り合いに聞きに行ってくださるなどするものですから、膨大な知識の消化不良で我々の頭脳キャパはすでに満杯。

でも、とにかく繊細な細工の数々だけでも画像掲載しますね。

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文化というものは、その背景である政治経済、権力者の想い、民衆の想い権力者に雇われた職人の想いの結集なのではないかとひつじは思っています。  だからその圧倒的パワーを前にすると、ときに押しつぶされそうになることがあります。  これは、このあとのスペイン旅行でも続く重苦しさなのですが、旅行後散々考えたことには、異文化だから、その重苦しさを感じるのかもしれません。 自分と違った価値観を受け入れて理解するのは、そうそう容易なことではないのでしょうね。

今回の旅、ものすごくたくさんの文化遺産に触れたため、ゆっくりお茶を飲む時間もないくらい忙しかったです。  逆に、そのパワーに圧倒されてお茶も飲めなかったというところもあったかも。  とにかく水のペットボトルを片手にひたすら難業のように歩きました。

でも、振り返るとトルコの文化(特に色使い)の方が明るく繊細な印象で、やはり西より東の文化のほうが私には馴染んでいると感じられました。

宮殿も、アルハンブラ宮殿より明るい印象だったなあ。  ・・・本当は、宮殿内部で陰湿な抗争や権力争いがあったんでしょうけど。

でも、下の画像、ラマザン月に1日の断食を終えて、夕刻の食事をする、テラスの東屋のようなイフタリエを見ても、明るい印象を持ちませんか?

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その横には、マルマラ海(ボスポラス海峡)を臨むテラスが広がっています。

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Kのすぐ下に見えるのは、宮殿内の見学者用レストランです。

ハレムは見学できなかったけど、ハレム入り口の画像だけはしっかり撮ってきました。

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さて、宮殿をあとにする頃には、だいぶ日も落ちてきて、時刻は17時に近づいてます。

ガイド氏ともそろそろお別れかなあ? 本当に熱心にガイドしてくださったこと!  さすがに疲れはピーク。 あとは、まずどこかで座って、それから街をぶらぶらしてお土産でもさがそうかなあ。  なんて考えていたひつじの耳にとんでもない言葉が飛び込んできました。

「さあ、これからエジプシャンバザールをちょっと覗いて、最後のモスクに行きますよ。」

エーっ! まだ観光するの?  まだ歩き続けるの?  もう嫌!  そりゃとても興味深い観光だったわよ。 博識なガイド氏にも大満足よ。 ・・・で、でも、これまでの観光量だって、一日でする量じゃなかったじゃない。  疲れたのよ、座りたいのよ、足だって痛くなっちゃったんだからあ。

・・・でも、気の弱い日本人観光客の我々、そんなこと言えません。 だって、礼儀正しい日本人だもの・・・

屠所に引かれるひつじとはまさにこのこと。  我々はうなだれながら元気なガイド氏について行きました。  ただ、さすがに明日は早朝の便でスペインに戻ることから、せめてものお土産に有名なトルコ菓子のお店に寄ってもらいました。

エジプシャンバザールを通り抜けるとき、どこからとなく懐かしい焼き魚の匂いが・・・

トルコ名物「鯖ドック」の匂いだそうです。  ・・・でも、疲れ切っていたので、それを買いたいとも言い出せずバザールを通り抜け、我々だけならきっと見落としてしまった暗い狭い入り口を通って、最後の観光場所リュステム・パシャ・ジャーミィにたどり着いたころには、外は夕闇が迫っていました。

鳥などが売られているエジプシャンバザール。  休日のためかお店はちらほら開けているだけ。

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・・・でも、その最後の寺院は、行ってよかったです。  美しい寺院でした。

宰相リュステム・パシャが1561年に建てたもので、内装、外装ともに素晴らしいイズミック・タイルがふんだんに使われています。  王女を娶って、かなりの権力を謳歌していたリュステム・パシャ。  その権力を誇示するような寺院を建設したのが間違いでした。  この資力がどこからきたのかを疑われ、失脚してしまったのだそうです。  この華麗な寺院は、入り口がわかりにくく、訪れる観光客が少ないそうで、残念なことでした。

夕方の礼拝に訪れた信者の方々を邪魔しないよう静かに見学を終えて、暮れなずむ街をホテルへと帰って行きました。aries

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2012年2月 6日 (月)

トルコ・スペイン紀行その6(イスタンブール前編)

実に充実の旅だったカッパドキアとお別れをして、カイセリ空港から最終便でイスタンブールへ。airplane

イスタンブールのアタテュルク空港で出迎えてくれたドライバーと無事会え、空港から小一時間のホテルへ送り届けてもらいました。(やはりトルコドライバー氏はせっかちで、かなりスピード感のあるドライブでした。)car

連日の強行軍で疲れ切っていた我ら、もうこれでベッドに倒れこみバタンキューを夢見ていたのは言うまでもありません。

ところが、事態は思うように進みませんでした!weep

我々を降ろすや否や走り去った車を見送って、ホテルのフロントにチェックインを申し出たら、「ここじゃない。」の一言。  えっ、だってホテルの名前合ってるけど・・・coldsweats01

すぐ隣のアネックスのようなところに案内されました。

なのに、ここでも「うちじゃない。」の冷たい一言。  さらに50mほど離れた違うホテルに・・・。

・・・・・・・・・・う、う~ん!  でもまあ、3軒目のホテルでようやく落ち着けたし、ま、いいか。

とにかく疲れた!  明日もイスタンブール観光だし、もう駄目、眠くてたまらない。sleepy

             **************************************

そんなふうに迎えた翌朝は、ボーっとした頭が晴れないまま。wobbly

それでも何とか朝食を終えて、ガイド氏との約束に遅れること7分ほど。  フロントへと降りていきました。

ガイド氏は、日本人を奥様に持つ、大変博識なトルコ男性。  それは流暢な日本語で話されます。confident

これが、とても丁寧で真面目なガイド氏による長い一日の始まりとは、このときの我々には知る由もありませんでした。  そして、これは、息子Yにとっても試練の一日だったのです。coldsweats02

実はY、スペイン以来の疲れで風邪をこじらせていました。 だんだんひどくなる咳、少し熱っぽい身体、重いノートパソコンを入れて、肩に食い込んでくるリュックと連日格闘していたのです。  この日も、ホテルにパソコンを置いて出るのをためらって悩んでいました。  イスタンブール市内観光は車移動とたかをくくっていた無責任女ひつじ。  その後のYの受難を想像だにしていませんでしたsign03

思いのほかナイスロケーションだったホテルの位置。  車で移動なんて勝手な思い込みだったらしく、もう、すぐ裏手から史跡が始まっていました。

ということは当然歩き!  こうしてこのあと2万歩ぐらい歩く市内観光の始まりでした。shoe

Y、ごめんね。bearing

最初の観光はローマの大競技場跡。  画像は競技場の外壁跡です。

かつては、この縦500m、横117mのU字型競技場で戦車競技が行われていたそうです。

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中側には、競技場時代の石造りベンチの名残が。

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この広場には3本の柱が立っていますが、一番南側にあるオベリスクは、はるかエジプトのカルナック神殿からローマ皇帝が運ばせた、古代エジプトの遺跡。  ヒエログリフが刻まれています。

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これがヒエログリフ。

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そして真ん中にあるのが、途中から折れた青銅製の蛇の柱。  コンスタンティヌス一世の時代に、ギリシャ、デルフォイのアポロン神殿から持ってこられ、もとは紀元前5世紀に作られたものだそうです。  天辺が折れていますが、三匹の蛇の頭部だったそうで、柱は蛇の絡み合う形です。  

残念ながら三本目の柱、切石積みのオベリスクの画像を撮り損ねてしまいました。  こちらは、コンスタンティヌス7世時代のものだそうです。

こんな具合に、広場だけでも史跡が続々。

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同じ広場にあるこの八角形の建物は、時代下って近代のものですが、ドイツのヴィルヘルム2世から寄贈されたドイツの泉です。

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ドーム内部は、こんな精巧な作りになっています。

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実は、この最初の広場で、知識もろくにないのに偉そうに色々質問してしまった私達。  それが、博識で真面目なガイド氏を刺激してしまったのです。shock

勉強家と誤解されたのでしょうか?  以後日が暮れるまで、ガイド氏の、それは丁寧な史跡案内が続いたのです。coldsweats02

広場は、有名なブルーモスクとアヤソフィア博物館へと続いていました。

ブルーモスクと呼ばれて親しまれているスルタンアフメット・ジャーミィは、17世紀初めに建てられた、トルコを代表するイスラム寺院です。

まずは、外観。

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入り口。  ここをくぐるだけで、あらたまった気持ちになってきます。

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もとより、イスラム教信者の方々にとっては、神聖な場所。  礼拝のためのお清めの場で手足を清めてのぞみます。

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そして門をくぐると、圧倒的存在感で迫ってくるモスク。

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華麗な回廊。

このイスラム様式の回廊は、その後スペイン南部でも、なんども目にすることになります。

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厳粛ながら、どこかすがすがしい感じもするブルーモスク内部。 色使いのせいなのでしょうか?

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美しいステンドグラス。

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外からは明るい光が。

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なんとも細かいタイルの模様。

このあとさらに精緻なタイルを何度も目にします。

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そして向かい側がアヤソフィア博物館。

かつては、ギリシャ正教の大本山。 その後イスラム寺院に変わったのですが、時代に翻弄されて何度も姿をかえたそうです。

旅行中、何度もキリスト教とイスラム教のせめぎあいを目の当たりにしました。

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回廊。

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回廊の天井。

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説教壇。  高い所は、ムハンマドの場所とされ、説教者は中壇で説教をするとか。

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スルタンの礼拝所。

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二階から見た内部。

よく見ると、ドーム両脇の壁に天使像が浮き出ています。  マリア像あるのですが、どちらも、イスラム寺院に変わったとき、壁に塗りこめられていたそうです。

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マリア像。

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そして、圧巻は、二階の壁面に描かれている、キリストと使途のタイル画。

実に細かいタイルで色の濃淡をあらわし、スーラの絵のように描かれているため、近くに寄らないとタイル画だということがわからないほどです。

この絵も、塗りこめられていたそうです。

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二階から、下を見下ろして説明を受けているのですが、(右端が、博識ガイド氏)灯りの柱も見事な細工で出来ています。

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この辺は、まだ元気でしたが、実はこのあとのイスタンブール観光、そのさらにあとのスペイン南部史跡めぐりと、宗教史跡に圧倒されて息も絶え絶えになる旅第二段の始まりとなるのでした。aries

2012年1月15日 (日)

トルコ、スペイン紀行その5(カッパドキア後編)

無事気球ツァーを終え、洞窟ホテルで優雅な朝食をとりチェックアウトして待つ私達は、迎えのバスで、本日メインのツァー「地下都市、ウフララ渓谷ツァー」の集合場所にやって来ました。bus

今日は英語のツァー。  どの程度わかるか心配ですが、半分はハイキングなので大丈夫でしょう。

マイクロバスに乗り込んだのは総勢10数人の観光客。  大半が年配のアメリカ人。 あとはニュージーランド人の女性が一人(彼女はニューヨーカーの若者とカップルで来ていました)、カナダ系中国人の若い夫婦、韓国人の若者一人です。

陽気でいかにもアメリカンアメリカンした人たちを想像していたのですが、今回の道連れは歴史や文化遺産に興味深々のどちらかというと静かなアメリカ人でした。  陽気で素朴、ちょっと傍若無人なアメリカ人も嫌いじゃないんですけどね。wink

拙い英語力で理解したところによると、先生やエンジニアという職業の人が多かったようです。

カナダ系中国人のカップルは、もっと物静かな二人で、ランチのとき隣り合わせたのですが、人柄の良い、話すと気さくなカップルでした。

仕事の休暇を利用して一人旅をしていた韓国人の若者は、誰彼となく話しかけて英語のコミュニケーションに努めていました。 こういうところがシャイな日本人と違いますよね。confident

そして、な、なんと!  今日のガイド君はYのスペイン語学校の友人だったのです!  毎日の強行軍で疲れ気味だったY、ひそかにうしろの座席で居眠りしようとしていたのですが、彼に拉致られて助手席へ。  その後ずーっとガイド君の横でスペイン語のお勉強に励みました。  アメリカ人観光客氏の中にもスペイン語に堪能な紳士がいたので、Yのスペイン語勉強はさらに豊かに。 アハハ!coldsweats01

とても人柄のいいメンバーに囲まれて、その日一日わきあいあいと楽しく過ごしました。

カッパドキアは、標高1000メートルを超えるアナトリア高原中央部に、100km²近くにわたって岩石地帯が広がる台地で、奇岩がそびえる不思議な風景は、柔らかい地層と硬い地層が重なり合い侵食されて生み出されたそうです。
3世紀半ば、ローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちが、カッパドキアに移り住み、彼らは柔らかい岩をくり抜いて住居や教会を作りました。 キリスト教徒たちはこの地でペルシャやイスラム勢力に包囲され、絶えず脅威にさらされていました。  そのため彼らは、敵から一時的に身を隠す場所を地下に求めたのです。  1965年に発見された地下都市は、地下8階、深さ65メートルに及ぶ巨大なもの。  地下1階のワイン製造所、地下2階の食堂、居間、寝室、収容人数に合わせて自由に掘り進められました。  地下5階をつなぐ通路には、外敵が襲ってきた時通路をふさぐため、1トンもの大きな石を転がして通路を閉じる仕掛けもありました。  そして、最下層の空間は十字架の形に掘られた教会になっています。  カッパドキアのキリスト教徒たちは、地下都市の一番底に、神への祈りの場を設けたのだそうです。(NHK世界遺産ライブラリ参照)

まずはその地下都市から見学です。 人一人通るのがやっとの通路を嫌になるほど下って行きます。

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途中、すれ違うときは少し広がって棚が出来ているところに身を潜めます。  ほら、足先が見えるでしょう?

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中は案外天井の高い空間ですが、迷路になっています。

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思わず天井を見上げるK。  ・・・瞬間に撮った画像は、なんか踊っているみたいですね。

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井戸です。

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果てしない下りは、その後の果てしない上りを意味しています。  その後再び日の目を見るまで、私達はこれでもかと歩き続けたのです。  まだ、このあとにウフララ渓谷ハイキングが残っているのに大丈夫かしら?

そしてとうとう、近くにスターウォーズの撮影に使われた教会もあるというウフララ渓谷にやって来ました。

切り立った崖を両側に、小さな川が流れています。 カッパドキア奇岩群の乾いた風景を見慣れた目には、豊かな緑がとてもすがすがしく映ります。

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さあ、3kmほどのハイキングが始まりです。

まずは川岸までひたすら階段を降ります。  降りたらまたその分昇らなきゃ・・・ またまたそれが頭をよぎります。

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でも、そんなことを忘れるぐらい気持ちの良いハイキングでした。

この川岸の散策です。

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崖の中をくりぬいて住居、教会、修道院などが作られ、かつて大勢のキリスト教徒が移り住んだそうです。

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住居には小さい穴が開いていますが、鳩用の巣だそうです。 糞は肥料に使われていたとか。

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道も比較的平坦です。

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こんな開けたところも。

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木も生い茂っています。

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そして、ロバも・・・

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       荷物を積んだ子。         203 

   

途中の休憩所にはアヒルも。

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幼いころ、あひるに追いかけられた経験のあるKは不安そう。

Yのうしろに隠れています。

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そして逃げるように先へ歩いて行ってしまいました。

でも、声をかけるとおどけてポーズをとっています。

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ようやく着いた川沿いのレストランで昼食。

スープと

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チキンのケバブ

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鱒のグリル

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どれも実に美味しかった!

食後、オニキスの工場を見学し、ツァーのメンバーはバスの発着所、ホテルとそれぞれ名残惜しげに別れていきました。

我々は町のホテルで、空港に送ってくれる車を待つことになりました。

通りを眺めているとお花で飾った車が。

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近づいて写真を撮らせてもらうと、結婚式の準備だそうです。

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どうやって飾るのかしら?

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車を待つ間、Yはスペイン語学校のときのもう一人の友達に誘われて出かけて行きました。

夕闇のせまる頃、我々は一路空港へ。  今夜のうちにイスタンブールへ飛びます。

明日は一日だけですが、イスタンブールを観光して翌日スペインに戻ります。

トルコの旅も終わりに近づいてきました。aries

2011年11月30日 (水)

トルコ、スペイン紀行その4(カッパドキア中編)

またまた早朝出発。

今朝は気球に乗ってカッパドキアを上空から観光。

実は、以前ケニアで気球に乗ったことのあるひつじ。  草原の上を気球で上昇したり降下したり、象やシマウマなどなど沢山の動物を観察しました。

そのときもまだ暗く、流れ星がいっぱい降る頃にホテルを出発して気球の乗り場まで向ったのです。  早朝が一番大気が安定して、気球を飛ばすのに良いとか。

ここカッパドキアでも暗い早朝にホテル前でバスのピックアップを待ちました。  今回は時刻通りに到着したバス、途中あちこちで観光客を拾っていきます。

怖かったのは野犬と思われる犬達が大きな声でほえながら、かなりの距離をバスを追って走ってきたこと。  何でだったのかなあ?

気球の発着所には待合所があって、何台ものバスで到着した観光客に屋内で軽食が振舞われます。  菓子パンやクッキーに暖かい飲み物。  それをいただきながら気球の用意が出来るのを待ちます。

まだ辺りが暗い中、それぞれ乗り込む気球を割り当てられ、熱気を送られ少しずつ膨らんでいく気球に向って歩きだします。  

一つ、また一つと気球の準備が整っていきます。

143shukushaku

上は暗い中に横たわっている気球です。

147 熱で温め始めます。

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少しずつ暖かい空気が満ちてきます。

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向こうの方でふわり、気球が上がりはじめました。

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まだ明けやらぬ空を次々に気球が上がっていきます。

下の籠部分に私達も乗り込んで、気球は地面を離れます。

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奇岩の上をすれすれに飛ぶ気球。

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時には雲の上まで上がって行き、他の気球を見下ろすことも。

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こんな上空を飛びながら、激しく揺れることもなく静かに動いていきます。

上がったり下がったり、上からの景色を楽しみながらの飛行を終え、少しずつ着陸の準備に入ります。

平地を見ていると、気球を追って来たトレーラーがあちこちに現れます。

ケニヤの草原に降り立った時と違い、カッパドキアではトレーラーの上に着地。  このとき、出発前に練習した狭い籠の中でいっせいにしゃがんで着地に備える体勢をとります。

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降り立った気球は少しずつ熱気を抜かれ、しぼんでいきます。

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そしてついに地上に横たえられ、私達乗客は籠を脱出。

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無事帰還を喜ぶKとY。

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パイロットがシャンパンを抜いてくれ、

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グラスにそそいで、

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お待ちかねカンパーイ!

ケニアでは降り立ったのが大草原で、その場でテーブルがセットされてシャンパンブレックファーストでした。  まあ、気球が一機だったので優雅でした。

でもでも帰還の無事を祝う気持ちは同じ、その後パイロットから1人ずつ気球乗船証明書を受け取りご満悦の私達でした。

そこから迎えの車で一旦ホテルに戻り、今度はしっかりホテルの朝食を楽しみました。

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トルコでは野菜も果物も美味しく、幸せな私達でした。

豪勢な洞窟ホテルをチェックアウトした私達を待ち受ける次なるツァーは、地下都市とウフララ渓谷ハイキング。

まだまだ忙しい一日は続きます。aries

2011年11月13日 (日)

トルコ、スペイン紀行その3 (カッパドキア前編)

毎朝、早朝移動が続いています。

今朝はカッパドキアへ移動。

7時15分にイズミル空港を発って、8時40分カイセリ空港着。 airplaneでブーン。

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飛行機も小さく(だから重量制限15kgだったんだ)、地方のほんとに小さな空港に到着。

でもすがすがしい雰囲気。happy01

そこから車で1時間ぐらい走ると、そこはもうカッパドキア!

ツァーバスに乗り換えて北部ツァーの始まりです。rvcar

実は、2年続けてフランスの洞窟で作品制作をしたひつじとK。 あの緊迫した雰囲気を思い出すため、洞窟を敬遠気味だったのです。  つまりカッパドキア観光は特に期待をしてなかった・・・というより少々洞窟が怖かったというのが正直なところ。coldsweats01

でも、壮大な巨石群を目にして、ここに来てよかった! と心から思いました。

自然ってすごい!  この自然を利用して生活をしている人間ってすごい!

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らくだ石と美女。

そして巨石群とご機嫌なY。

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生きてるみたいな不思議な巨石群ですよね。

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さあ、今から登り始めます。fuji

山の上でさけぶY。

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カッパドキアの広大な巨石群の中に身をおくと、まるで異世界に来たような錯覚に陥ります。

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今日は日本語のガイドさんです。  右側のおじさんがその方。

トルコでは、ガイドさんの地位が高く、大卒でなければその職につけないそうです。 英語が話せて当たり前。  二ヶ国語、三ヶ国語を話せるガイドさんもざらのようです。coldsweats02

また、彼らは博識でその説明の詳しいこと。 それを流暢な外国語でこなすのですから大変な勉強が必要だと思われます。  後日聞いた話では、成績がいいとまた海外研修に出してもらえ、語学のブラッシュアップができるとか。  英語以外の言葉をこなす要員はオンシーズン、休む間もなくひっぱりだこのようです。wobbly

Yにトルコで日本語とスペイン語のガイドをさせてもらったら?  と冗談まじりに言いましたが、「トルコ語が出来ないとだめだよ。」「そりゃそうだ。」・・・と、その前に遺跡と歴史の勉強に押しつぶされてしまいそう。  大変に勉強のいる仕事です。think

そしてどこにでもいるワン。

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毛艶がいいねえ君。

ところで、日本と英国以外では狂犬病に注意しなきゃいけないの知ってます?  狂犬病に罹患しているのは犬に限らず色々な動物にその危険性があるようですが。  狂犬病の動物に噛まれて発病したら死亡率100%ですよ。  まあ、罹患している動物はそれなりの様子なのかもしれませんが、まずは気軽に寄っていかないことです。 後日イスタンブールで、耳にピアスみたいなのをしているワンちゃんは予防接種済みということを聞きました。  余談ですが。dog

この日は巨石群の間を歩いたあと、素敵なレストランで食事をして(美味しかった!)、カッパドキア名産の陶器を見学に行きました。

カッパドキアで4代続く陶芸家のろくろ回しを見て、絵付けの見事な作品の数々を見学。

陶芸家氏はアインシュタインのような顔のおじ様でした。

まだまだ先に長い旅を控えている私達、あまり散在するわけにはいかず、財布のひもはキュウキュウ。  散々勧められましたが、ごくごくお付き合い程度に小さな買い物をしてその陶房をあとにしました。rvcar

さすがに移動続きで疲れた我々。  夕方ホテルに到着したときはホッとしました。

ずっと節約旅行を心がけてる私達、でもここカッパドキアではホテルのグレードアップをしてみました。  何と、3人で55ユーロアップで高級ホテルのスイートにチェックイン!hotel

人気の洞窟ホテルで、すごく素敵なお部屋でした。

入り口の間。

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ここだけでもすごく広い!

浴室。

180_10   

もっと沢山写真を撮ったはずなのに、なぜかこれだけ・・・・・残念!  寝室もだだっ広かったのに・・・

でもご覧のようにあまりに広すぎる上、洞窟を利用しているので薄暗い。

お風呂に入ってガラス扉を閉めると、隣の部屋の物音も聞こえずなんだか怖い。shock

お風呂に入っているとき、思わず隣室のKに頼んで大声で歌をうたってもらいました。

贅沢に慣れてない私達のようでした。sweat02

その晩はホテルのレストランで軽く食事をしてやすみました。 ・・・だって、外にでかけようにもあたりに何にもないんですもん・・・  まあ、よく調べてなかったせいもあると思いますが。  若く元気なYには気の毒でしたが、おばさんたち二人はかなり疲れて早く寝たかったのです。aries

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